基本プロフィール|2026年11月5日時点
式守勘太夫(しきもり・かんだゆう)57歳

1968年11月15日生まれ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 菊池浩 |
| 生年月日 | 1968年11月15日 |
| 年齢 | 57歳 |
| 出身地 | 宮城県伊具郡丸森町 |
| 所属部屋 | 朝日山部屋 |
| 現在の役職 | 三役行司 |
| 採用年月 | 1984年4月 |
| 初土俵 | 1984年5月場所 |
| 行司名の読み | しきもり・かんだゆう |
式守勘太夫の本名は菊池浩。土俵上で使用する行司名が「式守勘太夫」であり、本名とは別の名前を名乗っている。
「勘太夫」は「かんだゆう」と読む。「かんたゆう」ではない。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、読み方、本名、生年月日、出身地、所属部屋、これまでの行司名が公開されている。人物情報を調べる際には、この公式プロフィールが最も基本となる資料だ。
出身地は宮城県伊具郡丸森町出身地については、少し注意したい点がある。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、宮城県伊具郡丸森町が出身地として掲載されている。一方、2025年の日刊スポーツの人物紹介では、1968年11月15日、東京生まれと記載されている。
これは出生地と出身地という異なる項目の表現である。公式プロフィール上の出身地は宮城県伊具郡丸森町と整理できる。
2026年の年齢は57歳1968年11月15日生まれのため、2026年11月5日時点では57歳。2026年11月15日に58歳の誕生日を迎える。
中学卒業後の1984年に行司として採用されているため、2026年は採用から42年目にあたる。
40年以上にわたって大相撲の土俵を支えているベテラン行司だ。
現在は朝日山部屋に所属日本相撲協会の公式プロフィールでは、式守勘太夫の所属部屋は朝日山部屋となっている。
朝日山部屋の師匠は、元関脇・琴錦の朝日山宗功。協会の部屋紹介ページにも、所属行司として三役行司・式守勘太夫の名前が掲載されている。
ここで理解しておきたいのは、行司も力士と同じように相撲部屋に所属する協会員だということだ。
ただし、行司は力士として番付を上げていく存在ではない。土俵上の取組を進行し、勝負を判定する専門職であり、力士とは異なる昇進制度のもとでキャリアを積んでいく。
【行司経歴・年表】1984年の採用から12代目襲名まで
式守勘太夫のキャリアを理解するうえで欠かせないのが、行司名の変遷である。
現在の名前に至るまで、式守国浩、式守錦之助、式守与太夫、式守与之吉という4つの名前を経験している。
単なる改名ではなく、行司としての階級の上昇や、将来受け継ぎたい名跡への思いが反映された変遷だ。
式守国浩として相撲界に入門1984年4月、日本相撲協会に採用された菊池浩は、同年5月場所で初土俵を踏んだ。
最初に名乗ったのは式守国浩(しきもり・くにひろ)。
2019年の襲名インタビューによると、入門先の伊勢ヶ濱部屋で当時の師匠だった元大関・清國の四股名から「国」の字をもらい、本名の「浩」と組み合わせて国浩とした。
入門当初は、行司以外の道を勧められたこともあったという。しかし本人は行司の道を選択した。
その選択が、後の三役行司への昇進につながっていく。
式守錦之助から式守与太夫へ2001年1月、十枚目格行司に昇進すると、8代式守錦之助を襲名した。
さらに2009年1月には幕内格行司に昇進し、12代式守与太夫を名乗ることになる。
その後、2016年1月に10代式守与之吉へ改名。2019年5月、ついに念願だった12代式守勘太夫を襲名した。
式守勘太夫の経歴と関係人物を年表で整理公式プロフィール、2019年の襲名インタビュー、日刊スポーツの報道をもとに整理
この年表から分かるのは、勘太夫が一度の大きな昇進で現在の地位に到達したのではなく、十枚目格、幕内格、三役行司と段階的に経験を積み重ねてきたことだ。
1984年に採用された同期の木村元基とともに歩みながら、それぞれ異なるタイミングで昇進を重ねてきた点も特徴的である。
【12代目襲名の経緯】式守勘太夫という名跡は1823年から続く
式守勘太夫という名前は、現在の本人が初めて使用したものではない。
2019年の襲名特集を掲載した相撲専門メディア「おすもうさん」によれば、式守勘太夫の名跡は文政6年(1823年)から続いている。
つまり、2026年時点で約203年の歴史を持つ伝統的な行司名跡だ。
なぜ与之吉から勘太夫になったのか襲名インタビューで勘太夫本人が説明したところによると、入門した伊勢ヶ濱部屋には、先輩の行司として後に9代式守勘太夫となる兄弟子がいた。
その先輩が名乗っていた「勘太夫」という名前は、本人にとっても特別な存在だった。
いつか自分もその名跡を継ぎたいという思いを持っていたのである。
そこで重要になるのが、2016年の10代式守与之吉への改名だ。
本人によれば、勘太夫を襲名した行司の多くが、前名として与之吉を名乗っていた。その伝統的な流れを意識して、与之吉への改名を決めたという。
つまり、与之吉への改名は単なる名前の変更ではなく、将来の勘太夫襲名を見据えた選択だった。
襲名とともに受け継がれる「譲り団扇」式守勘太夫の名跡には、名前だけではなく、代々受け継がれてきた軍配も関係している。
その軍配は「譲り団扇(ゆずりうちわ)」と呼ばれるものだ。
2019年のインタビューでは、勘太夫本人が、2代目式守勘太夫が使用した軍配であり、当時から約153年前のものだと説明している。
普段は相撲博物館で保管されており、2019年の12代目襲名後の夏場所初日に使用した後、博物館に返却されたという。
このエピソードは、行司の襲名が単に名前を引き継ぐだけのものではないことを示している。
長い年月を経て受け継がれた道具や、それに込められた先輩行司の思いも含めて、名跡の歴史が形成されている。
12代目式守勘太夫の襲名は、約200年続く伝統の継承という意味を持つ出来事だった。
【三役行司とは?】大相撲の行司の階級と朝日山部屋での立場
式守勘太夫の現在の役職は三役行司。
ここで知っておきたいのが、力士の三役と行司の三役は別の制度だという点だ。
力士の三役は関脇・小結などの地位を指す。一方、行司の三役は、行司自身の職務上の階級を表している。
行司の階級は全部で8段階大相撲の行司は、最高位の立行司から最下位の序ノ口行司まで、8つの階級に分けられている。
行司の階級一覧
立行司
最高位。木村庄之助・式守伊之助
三役行司
上から下への昇進序列。日本相撲協会の階級区分をもとに整理。
三役行司は、立行司に次ぐ上位の階級だ。
その上には、木村庄之助と式守伊之助という2つの立行司の名跡がある。
したがって、三役行司への昇進は、行司として最高位に近づいたことを意味する。
三役行司になると装束も変わる行司の階級は、土俵上の装束にも表れる。
日本相撲協会の公式クイズ解説によると、階級によって軍配の房や装束の菊綴の色が定められている。
| 階級 | 軍配の房の色 | 主な装束上の特徴 |
|---|---|---|
| 立行司・木村庄之助 | 総紫 | 最高位の装束 |
| 立行司・式守伊之助 | 紫白 | 短刀を携える |
| 三役行司 | 朱色 | 印籠・上草履 |
| 幕内行司 | 紅白 | 白足袋 |
| 十枚目行司 | 青白 | 白足袋 |
| 幕下以下 | 黒または青 | 裸足 |
三役行司になると、軍配の房と装束の菊綴が朱色になり、草履を履くことや、腰に印籠を携えることが許される。
土俵中継で勘太夫の姿を見る際には、軍配の房の色や装束にも注目すると、階級の違いが分かりやすい。
三役行司への昇進は2024年12月23日日刊スポーツの2025年3月の報道によれば、勘太夫は2024年12月23日付で三役格行司に昇進した。
2025年初場所から正式に三役格として土俵に立つようになった。
長年の幕内格行司としての経験を経て、立行司の一歩手前に位置する階級へ進んだことになる。
朝日山部屋との関係現在の所属先は朝日山部屋で、公式プロフィールと部屋紹介の両方で確認できる。
朝日山部屋の師匠は元関脇・琴錦の朝日山宗功。
式守勘太夫は同部屋の所属行司として、相撲協会の本場所運営を支えている。
ここで注意したいのは、朝日山部屋所属という情報と、入門当初の伊勢ヶ濱部屋という情報は別の時期の経歴だということだ。
2019年の本人インタビューでは、伊勢ヶ濱部屋に入門したことが語られている。現在の所属先は朝日山部屋であり、過去の所属に関する記述と混同しないことが大切だ。
【ギラン・バレー症候群】2017年の発症と5場所連続休場からの復帰
式守勘太夫の経歴を語るうえで外せないのが、2017年に発症したギラン・バレー症候群だ。
これは手足などの筋力低下や運動機能への影響が現れることがある神経の病気である。
勘太夫は2017年12月、冬巡業中に発症した。
2017年12月、突然の体調悪化日刊スポーツの2025年3月の特集記事によると、発症したのは宮崎市での冬巡業中だった。
2017年12月8日の朝、体に力が入らなくなり、顔を洗うことも着替えることも難しくなった。
その後、緊急入院することになった。
当初は首を動かすことしかできないほどの状態で、歩くことも困難だったという。
2018年初場所から5場所連続で本場所を休場し、治療とリハビリに専念した。
2018年11月、九州場所で土俵に復帰リハビリを続けた結果、2018年11月の九州場所で本場所への復帰を果たした。
復帰までの道のりは決して簡単ではなかった。
2021年の日刊スポーツの取材では、発症前と比較して握力が十分に戻らず、手の震えも残っていたことが紹介されている。
そのため、軍配を軽いものに変更するなど、仕事を続けるための工夫も行っていた。
2025年の取材でも続いていた治療さらに2025年3月の日刊スポーツの特集では、発症から7年2カ月が経過しても、手の震えが残っていることが本人の説明として紹介された。
当時は月1回の通院を続け、本場所中には出番前に薬を服用していたという。
また、左手で袴をつまむことで、手の震えが目立たないように工夫していたことも明らかになった。
一方、同記事では、2025年初場所の際どい勝負についても取り上げられている。
翔猿と宇良の取組、霧島と高安の取組で、勘太夫が上げた軍配はいずれも審判部の確認後、行司軍配通りとなった。
病気を経験した後も、勝負を見極める行司として土俵に立ち続けていたことが分かる。
この経験は、式守勘太夫のキャリアにおける大きな転換点だ。
単に休場から復帰したというだけではない。身体的な困難を抱えながら、行司として必要な技術や所作を維持し、上位階級への昇進も実現した。
2026年現在も日本相撲協会の公式プロフィールには三役行司として掲載されている。
【木村元基との関係】1984年採用の同期が支えた行司人生
式守勘太夫を語るうえで、もう一人注目したい人物がいる。
それが、湊部屋所属の木村元基(きむら・もとき)だ。
木村元基は本名・岡村浩道。日本相撲協会の公式プロフィールでも、1984年4月採用の行司として紹介されている。
勘太夫と元基は、同じ年に採用され、同じ5月場所で初土俵を踏んだ同期である。
2人は中学卒業後の15歳で採用された日刊スポーツの2025年3月の特集記事によれば、2人はともに1984年4月に日本相撲協会へ採用された。
当時は中学を卒業したばかりの15歳だった。
その後、行司として同じ時代を歩んできたが、昇進のタイミングには差が生まれた。
行司の世界では、技量や勤務態度も評価される一方、基本的には勤続年数や先輩・後輩の序列が昇進に影響する。
勘太夫と元基は幕下格までの昇進時期は同じだったものの、十枚目格以上では差がついたと報じられている。
勘太夫が三役格に昇進しても喜びきれなかった理由2025年3月の日刊スポーツのインタビューで、勘太夫は三役格への昇進について、同期の元基を気にかける気持ちを語った。
僕、元基さんが同期なんですよ。
自分だけが先に昇進することについて、元基が同じ階級に上がって初めて、自分もその地位になったと実感できるという趣旨の発言をしている。
この言葉から見えてくるのは、単なる出世競争ではない行司同士の関係だ。
同じ時期に入門し、同じ土俵を見つめてきた仲間だからこそ、自分だけの昇進を喜びきれなかったのだろう。
2026年10月、木村元基の三役昇進が決定そして2026年、2人の関係にとって注目すべき動きがあった。
2026年10月1日、日本相撲協会の理事会で、木村元基の三役行司への昇進が決定した。
日刊スポーツなどの報道によると、昇進は2026年12月21日付、2027年初場所からとなる予定だ。
つまり、2026年11月5日現在は、勘太夫が三役行司、元基が幕内行司という関係だが、2027年初場所からは2人が同じ三役行司の階級に並ぶことになる。
2025年の取材で語られた同期への思いを振り返ると、この昇進決定は非常に象徴的な出来事だ。
40年以上にわたって同じ行司の道を歩んできた2人が、再び同じ階級で土俵に立つことになる。
関連する公式プロフィール:日本相撲協会・行司一覧。2026年10月の昇進決定については日刊スポーツの報道を参照。
【プロの結論】式守勘太夫の評価は名跡・技量・人間関係の3つから見える
式守勘太夫のキャリアを整理すると、注目すべき点は大きく3つある。
第一に、約200年続く式守勘太夫という名跡を継承したこと。
第二に、ギラン・バレー症候群という大病から復帰し、2024年に三役行司へ昇進したこと。
第三に、同期の木村元基を気にかける姿勢に表れている、行司同士の長年のつながりだ。
行司は、力士のように勝ち星を積み重ねて番付を上げる仕事ではない。
取組の勝敗を見極める判断力、軍配を扱う技術、発声、土俵上での所作、そして長期間にわたって職務を続ける責任感が求められる。
そのため、行司の評価を見るときは、単純に現在の階級だけを比較するのではなく、これまでの昇進歴や担当してきた役割にも注目する必要がある。
特に勘太夫の場合、2017年の病気からの復帰という経験が、キャリアを理解するうえで重要な背景になっている。
また、2027年初場所から同期の木村元基も三役行司になる予定であることは、2026年の新しい注目ポイントだ。
【式守勘太夫に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:式守勘太夫の本名は何ですか?
A1:本名は菊池浩です。日本相撲協会の公式プロフィールにも掲載されています。行司名は式守勘太夫で、読み方は「しきもり・かんだゆう」です。
Q2:式守勘太夫は2026年現在何歳ですか?
A2:1968年11月15日生まれの57歳です。2026年11月15日に58歳になります。
Q3:式守勘太夫の現在の役職と所属部屋は?
A3:2026年11月現在、三役行司で、朝日山部屋に所属しています。三役行司は行司の階級で上から2番目に位置する上位の役職です。
Q4:式守勘太夫はいつ12代目を襲名しましたか?
A4:2019年5月の夏場所から12代式守勘太夫を襲名しました。それ以前は式守国浩、式守錦之助、式守与太夫、式守与之吉を名乗っていました。
Q5:式守勘太夫が患った病気は何ですか?
A5:2017年12月にギラン・バレー症候群を発症しました。2018年の初場所から5場所連続で休場し、同年11月の九州場所で復帰しました。2025年の報道では、手の震えや通院についても本人が語っています。
Q6:木村元基と式守勘太夫は同期ですか?
A6:はい。2人は1984年4月に日本相撲協会に採用された同期です。木村元基は2026年10月に三役昇進が発表され、2027年初場所から勘太夫と同じ階級になる予定です。
式守勘太夫は、本名・菊池浩、1968年11月15日生まれの大相撲行司である。
1984年4月の協会採用から、式守国浩、式守錦之助、式守与太夫、式守与之吉と名前を変え、2019年5月に12代式守勘太夫を襲名した。
2024年12月23日には三役格行司へ昇進。2026年現在は朝日山部屋所属の三役行司として土俵を支えている。
その歩みには、1823年から続く名跡の継承、2017年のギラン・バレー症候群からの復帰、同期の木村元基との友情という3つの大きな要素がある。
そして2027年初場所からは、長年の同期である木村元基も三役行司に昇進する予定だ。
式守勘太夫を知ることは、行司という仕事の奥深さと、大相撲の伝統がどのように次の世代へ受け継がれていくのかを知ることにもつながる。
今後は、三役行司としての活躍に加え、立行司への昇進や、同期との新たな関係にも注目したい。