松崎しげるさんは、1949年11月19日、東京都生まれ。1970年にソロ歌手としてデビューしました。
現在の豪快なキャラクターや黒い肌のイメージからは想像しにくい可能性がありますが、若い頃はプロ野球選手を目指していた時期もあります。
高校時代は甲子園を目指していた日刊スポーツの2023年のインタビューによると、松崎さんは日本大学第一高校の野球部に所属し、甲子園出場を目指していました。
ところが、高校2年生のとき、練習中に先輩のバットが肩に当たり、肩を負傷。野球を断念することになります。
その後、友人の影響で音楽に親しみ、バンド活動を始めました。
当初は歌手になることよりも、音楽制作やプロデュースの仕事に関心があったそうです。
バンド「ミルク」から1970年のソロデビューへ松崎さんは、1968年ごろからバンド活動を行い、「ミルク」というグループで活動しました。
このグループには、後にフォークグループ「ガロ」を結成する日高富明さんや堀内護さんも在籍していました。
当時、マネジメントを担当したのが、後にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを率いる宇崎竜童さんです。
1970年にグループが解散すると、松崎さんはソロ歌手として再出発しました。
しかし、デビュー直後から大ヒットに恵まれたわけではありません。CMソングの歌唱などを続けながら、歌手としての実力を磨いていきました。
松崎しげるの経歴・代表的な転換点| 年代 | 出来事・関係者 | 主な実績 |
|---|---|---|
| 1949年 | 東京都で誕生 | 11月19日生まれ |
| 1968年 | バンド「ミルク」で活動 | 宇崎竜童がマネジメント |
| 1970年 | ソロ歌手デビュー | 本格的な歌手人生が始まる |
| 1976年 | スペイン・マジョルカ音楽祭 | 「愛の微笑」で2位入賞 |
| 1977年 | 「愛のメモリー」 | 日本レコード大賞歌唱賞、紅白初出場 |
| 1979~1982年 | 「噂の刑事トミーとマツ」 | 国広富之と共演し俳優としても人気に |
| 2015年 | 黒フェス開始 | 9月6日が松崎しげるの日に認定 |
| 2024年 | 第75回NHK紅白歌合戦 | 西田敏行さん追悼企画に参加 |
| 2026年 | 喜寿イヤー | 黒フェス12回目、記念ライブを開催 |
所属事務所のプロフィールと日刊スポーツのインタビューをもとに整理しました。
俳優としても人気を獲得した「噂の刑事トミーとマツ」松崎さんの経歴を語るうえで欠かせないのが、TBS系ドラマ「噂の刑事トミーとマツ」です。
国広富之さんとコンビを組んだ刑事ドラマで、1979年から1982年にかけて放送されました。
歌手としての力強いイメージとは異なる、コミカルな演技も披露。これによって、音楽ファン以外にも知名度を広げました。
その後もドラマ、CM、バラエティー、ミュージカルなど幅広いジャンルで活動しています。
現在の松崎さんが、歌番組だけでなく幅広い世代から親しまれる理由には、こうした長年のテレビ出演歴も関係しています。
【代表曲・愛のメモリー】松崎しげるの歌声が今も支持される理由

松崎しげるさんの代表曲といえば、やはり1977年に発表された「愛のメモリー」です。
この曲は、単なるヒット曲ではありません。松崎さんの歌手人生を大きく変えた、キャリアの転換点となった作品です。
「愛のメモリー」は最初からヒットした曲ではなかった意外に知られていないのが、同曲の誕生までの経緯です。
もともとは「愛の微笑」というタイトルで制作され、1976年のスペイン・マジョルカ音楽祭に出品されました。
この音楽祭で2位に入賞したものの、帰国後すぐに大きな注目を集めたわけではありませんでした。
松崎さんは、日刊スポーツのインタビューで、賞を獲得して帰国しても報道陣が待っていなかった当時の状況を振り返っています。
その後、転機となったのが三浦友和さんが出演する江崎グリコのアーモンドチョコレートのCMでした。
CMソングとして採用されると注目度が高まり、曲名や歌詞を変更して「愛のメモリー」として発売されました。
この曲が大ヒットし、松崎さんの知名度は一気に上昇しました。
日本レコード大賞歌唱賞を受賞、紅白にも初出場1977年、「愛のメモリー」は日本レコード大賞の歌唱賞を受賞しました。
さらに同年のNHK紅白歌合戦にも初出場しています。
その後も松崎さんは、国内外の音楽祭で実績を積み重ねました。
所属事務所の公式プロフィールには、1978年の東京音楽祭や太平洋音楽祭、1980年の東京音楽祭などでの受賞歴も記録されています。
つまり、「愛のメモリー」だけが評価された歌手ではなく、長年にわたって歌唱力を評価されてきた実力派です。
なぜ77歳を迎える今も「愛のメモリー」が歌い継がれるのか「愛のメモリー」の魅力は、豊かな声量と伸びやかな高音、情感を込めた歌唱にあります。
加えて、楽曲そのものが世代を超えて親しまれていることも大きな要因です。
2026年の黒フェスでも、松崎さんは最後に「愛のメモリー」を披露しました。
DI:GA ONLINEのライブレポートでは、最後のフェイクまで感情を込めて歌い切ったステージが紹介されています。
長年歌ってきた曲でありながら、現在もライブの重要な場面を担っていることが分かります。
【NHK紅白歌合戦2024】松崎しげるが再び出演した理由とは?
松崎しげるさんは、2024年12月31日に放送された第75回NHK紅白歌合戦にも出演しました。
この出演は、1977年の初出場に続く自身2回目の紅白出演です。
ただし、2024年は通常の紅白出場歌手としてではなく、特別企画への参加でした。
西田敏行さんの追悼企画で「もしもピアノが弾けたなら」を披露2024年の紅白では、同年10月に亡くなった俳優・歌手の西田敏行さんをしのぶ特別企画が実施されました。
松崎さんは、竹下景子さん、武田鉄矢さん、田中健さんとともに出演。
披露した曲は、西田さんの代表曲として知られる「もしもピアノが弾けたなら」です。
この企画は、西田さんの功績と人柄を振り返りながら、親交のあった出演者たちが名曲を歌い継ぐ内容でした。
松崎しげるの紅白出演歴は2回- 1977年:「愛のメモリー」で初出場。
- 2024年:西田敏行さんの追悼企画に参加し、2回目の出演。
約47年の時を経て再び紅白の舞台に立ったことは、松崎さんの長いキャリアを象徴する出来事でした。
2024年の出演は、単に懐かしい歌手が再登場したという話ではありません。俳優としても音楽仲間としても築いてきた人間関係が、紅白という大舞台につながった出来事です。
【松崎しげるの現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:松崎しげるは2026年現在、何歳ですか?
A1:1949年11月19日生まれです。2026年11月5日時点では76歳で、11月19日に77歳の喜寿を迎えます。
Q2:松崎しげるは現在、病気を患っているのでしょうか?
A2:過去に前立腺肥大症や体調不良による休演を経験しています。2025年にはイベント出演を見合わせました。一方、2026年9月にはウォーキングを継続して体調を整え、「今年は万全」と本人が語っています。現在の特定の重い病気について、本人や所属事務所から公表された情報は確認できません。
Q3:松崎しげるは現在も「愛のメモリー」を歌っていますか?
A3:はい。2026年9月の黒フェスでも披露しています。喜寿を迎える年もライブ活動を続けており、代表曲は現在のステージでも重要なレパートリーとなっています。
松崎しげるさんの現在を整理すると、2026年は歌手人生の大きな節目となる喜寿イヤーです。
11月19日に77歳を迎える松崎さんですが、黒フェスの主催、コンサート、ライブ、ディナーショーなど、音楽を中心とした活動を継続しています。
一方で、過去には風邪をこじらせたことや、2025年の体調不良による出演見合わせもありました。2026年には前年の不調を振り返り、ウォーキングを続けて体調を整えたことを本人が明かしています。
【プロの結論】松崎しげるの魅力は年齢では測れない松崎さんの現在を評価するとき、注目すべきなのは単純な出演回数や年齢ではありません。
大きく3つのポイントがあります。
1. 歌手としての実力:1977年の「愛のメモリー」から現在まで、歌声を武器にステージに立ち続けている。
2. エンターテイナーとしての企画力:9月6日を記念日にし、12年連続の黒フェスへと育て上げた。
3. 新しい世代との交流:ももいろクローバーZや手越祐也ら、幅広い世代のアーティストと共演し、AIを活用した新しい演出にも挑戦している。
特に黒フェスは、松崎さん自身の人気だけで成立しているイベントではありません。出演者同士の交流や、異なる世代の音楽が交差する場として成長しています。
また、健康に関する情報を調べる際には、過去の休演報道だけで現在の病状を判断せず、本人の最新発言と所属事務所の公演情報を併せて確認することが大切です。
「生ある限り歌う」という姿勢を掲げる松崎しげるさん。 77歳という節目を迎えても、代表曲に甘んじることなく、新しい音楽や若いアーティストから刺激を受けながら挑戦を続けています。
その姿こそが、長年にわたって多くの人に愛される理由なの可能性があります。
主な情報源:オフィスウォーカー公式プロフィール・ニュース、日本記念日協会、COTTON CLUB公式公演情報、NHK紅白関連番組報道、日刊スポーツ、TBS NEWS DIG、DI:GA ONLINE。