1972年公開の映画『ラストタンゴ・イン・パリ』をめぐり、現在も議論が続いているのが、マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーが出演した、いわゆる「バター場面」だ。劇中では性的暴力を描いたこのシーンについて、撮影現場でも実際の性行為が行われたのか、シュナイダー本人は事前に説明を受けていたのかという疑問が繰り返し取り上げられてきた。
問題の中心には、2007年のシュナイダーの証言、2013年に明らかになったベルナルド・ベルトルッチ監督の発言、そして2016年12月の監督による釈明がある。さらに2024年には、撮影用脚本を調査した映画監督の証言によって、脚本と実際の撮影内容をめぐる議論が再び注目された。2026年現在、これらの証言を照合すると、実際の性行為の有無と、撮影時の同意をめぐる問題は明確に区別する必要がある。
【まず結論】バター場面で実際の性行為はあった?撮影の真相

最初に、多くの人が気にしている疑問に答えたい。
マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーの間で、撮影中に実際の性交や性的な挿入行為が行われたという事実は確認されていない。問題の場面は、映画の演技として撮影されたものだ。
この点については、シュナイダー本人が2007年のインタビューで説明している。
彼女は、ブランドが撮影中に行っていた行為は実際の性行為ではなかったと述べる一方、自分自身は本当に涙を流し、強い屈辱を感じたと振り返った。
つまり、映画の中で描かれた性的暴力と、撮影現場で起きた問題は、同じものとして扱うべきではない。
問題になったのは、演技としての性的暴力を撮影する過程で、本人の意思や心理的な準備が十分に尊重されていたのかという点である。
シュナイダーは当時の経験について、次のように語っている。
「屈辱を感じた。正直に言えば、マーロンとベルトルッチの二人から、少しレイプされたように感じた」 — マリア・シュナイダー、2007年のDaily Mailインタビューとして報道された証言(日本語訳)
この言葉は、実際に性交があったという意味ではない。本人が撮影現場で感じた屈辱や、演出をめぐる心理的な侵害を表現したものだ。
また、映画の映像に登場する行為が模擬的だったからといって、撮影時の問題まで架空だったことにはならない。
映像上の性行為が演技だったことと、その演技をどのような説明・合意のもとで実施したかは、別々に検証すべき問題なのである。
2007年の証言を報じたLos Angeles Timesや、2016年の再報道でも、この区別が確認できる。
【作品と出演者】ラストタンゴ・イン・パリとは?問題の背景を整理
1972年公開・イタリア/フランス合作映画
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
主演:マーロン・ブランド、マリア・シュナイダー
ジャンル:ドラマ
『ラストタンゴ・イン・パリ』は、イタリアの映画監督ベルナルド・ベルトルッチが手掛けた作品である。
妻を亡くしたアメリカ人男性ポールと、若いフランス人女性ジャンヌが、互いの素性を深く知らないまま関係を築いていく物語だ。
ポールを演じたのは、ハリウッドを代表する俳優マーロン・ブランド。ジャンヌ役には、当時19歳だったマリア・シュナイダーが起用された。
作品には露骨な性的描写や、登場人物による性的暴力が含まれている。公開当時から賛否を呼び、映画表現と倫理の境界をめぐる議論を引き起こした。
英国映画分類審査機関BBFCの記録にも、バターを潤滑剤として用いる性的暴力の場面が、審査上の問題となったことが記されている。
主要人物と問題シーンの関係ジャンヌ役。撮影当時19歳。2007年の証言で、バター場面における事前説明の不足と心理的な苦痛を明らかにした。
ポール役。撮影当時48歳。ベルトルッチとともに、バターを使用する演出のアイデアを出したと監督が説明している。
監督。2013年のインタビューで事前説明をしなかった理由を語り、2016年には脚本に関する釈明を発表した。
ここで見逃せないのは、撮影時の二人の年齢差と、制作現場における立場の違いだ。
19歳の若手俳優と、48歳の世界的スター、そして作品全体の演出を決定する監督という構図だった。
単なる共演者同士の意見の違いではなく、撮影内容を決める側と、それを演じる側の間に大きな権力差が存在していた。
【証言と発言を時系列で検証】2007年・2013年・2016年に何があった?
問題の経緯を理解するうえで重要なのは、証言が公になった順番である。
2007年:マリア・シュナイダーが撮影時の苦痛を告白最初の重要な記録は、2007年に掲載されたDaily Mailのインタビューだ。
シュナイダーは、バター場面について、マーロン・ブランドがアイデアを出したと説明した。
そして、その演出について撮影直前に知らされたため、強い怒りを感じたと振り返っている。
彼女は、脚本にないことを求められるのであれば、代理人や弁護士を撮影現場に呼ぶべきだったとも語った。
加えて、ブランドから「映画にすぎないから心配しなくていい」という趣旨の言葉をかけられたものの、撮影中には実際に涙を流したと証言した。
このインタビューでは、撮影は1回だけだったとも説明している。
この証言を報じたLos Angeles Timesによれば、シュナイダーはその後、同じようなヌードシーンには出演しなかったと語っている。
2013年:ベルトルッチ監督が演出の意図を説明次の転機は2013年。
ベルトルッチは、パリのシネマテーク・フランセーズで行われたイベントで、問題のバター場面について語った。
監督の説明によると、バターを使うアイデアは撮影当日の朝、ブランドと二人で思いついたものだった。
二人は撮影場所で朝食を取っており、バゲットとバターを見たことが発想につながったという。
加えて、監督はシュナイダーにその具体的な演出を事前に知らせなかったことを認めた。
その理由について、次の趣旨を説明している。
「女優としてではなく、一人の少女として反応してほしかった」 — ベルナルド・ベルトルッチ監督、2013年のインタビューでの発言(日本語訳)
監督は、彼女に演技として屈辱を表現させるのではなく、実際に怒りや屈辱を感じてほしかったという趣旨の説明をしている。
また、事前に伝えなかったことについて、自分はひどいことをしたと感じているとも述べた。
この映像が2016年に再び注目されたことで、撮影現場における同意の問題が国際的な議論になった。
2016年:ベルトルッチ監督が公式に近い形で釈明2016年12月5日、ベルトルッチは報道を受けて声明を発表した。
声明では、世間に広がった誤解を正したいとし、シュナイダーは脚本を読んでおり、劇中の暴力描写については知っていたと主張した。
一方で、バターを使うという具体的なアイデアだけは事前に知らせていなかったと説明した。
つまり監督の主張は、次のように整理できる。
- 劇中の暴力描写は脚本に記されていた。
- バターを使用する演出は撮影当日に決まった。
- バターを使用することについて、シュナイダーには事前に知らせなかった。
AP通信が報じたCBS Newsの記事でも、この声明の内容が紹介されている。
2007年から2016年までの経緯一覧| 時期 | 出来事・発言 | 検証上の意味 |
|---|---|---|
| 1972年 | 『ラストタンゴ・イン・パリ』公開 | 問題となる場面が映画に登場 |
| 2007年 | シュナイダーがDaily Mailで証言 | 説明不足、怒り、屈辱を告白 |
| 2011年 | シュナイダー死去 | 58歳。本人への新たな取材は不可能に |
| 2013年 | ベルトルッチが撮影の経緯を説明 | バターの演出を事前に伝えなかったと認める |
| 2016年12月 | ベルトルッチが声明を発表 | 暴力描写は脚本にあり、バターだけが新しい演出だったと主張 |
| 2024年 | 映画『Being Maria』がカンヌで紹介される | 撮影用脚本を調査した監督が新たな見解を提示 |
| 2025年 | 関連報道で脚本資料と撮影現場の問題が再検証される | シュナイダーの証言が改めて取り上げられる |
この時系列から分かるのは、問題が2016年に突然生まれたわけではないということだ。
シュナイダーはそれ以前から自分の経験について語っていた。2016年の監督発言が再注目されたことで、彼女の証言と監督の説明が正面から比較されるようになったのである。
【最大の争点】脚本にバター場面はあった?撮影内容との違い
今回の問題で、特に重要なのが脚本と撮影内容の違いだ。
なぜなら、監督とシュナイダーの説明には、事前に何が知らされていたのかという点で違いがあるからだ。
シュナイダーの説明:問題の場面は脚本になかった2007年のインタビューでシュナイダーは、バターを使う場面は当初の脚本に含まれていなかったと説明した。
ブランドがアイデアを出し、撮影直前に伝えられたというのが彼女の証言である。
彼女にとって問題だったのは、映画の中に暴力的な場面が存在することだけではなかった。
予定されていなかった具体的な演出が撮影現場で持ち込まれ、自分が十分な説明を受けないまま対応することになった点だった。
ベルトルッチの説明:暴力描写は脚本に記載されていたこれに対して、2016年のベルトルッチは、シュナイダーは脚本を読んでおり、劇中の暴力描写を理解していたと主張した。
監督によれば、知らされていなかったのはバターの使用という追加要素だけだった。
ここで重要なのは、監督が説明している「脚本にあった暴力描写」と、実際に撮影された具体的なバター場面を区別することだ。
2024年:撮影用脚本を調べた映画監督が証言この議論に新しい材料を加えたのが、フランスの映画監督ジェシカ・パリュである。
彼女は2024年、カンヌ国際映画祭で紹介された映画『Being Maria』についてのインタビューで、撮影当時の資料を調査したことを明らかにした。
パリュは、撮影現場で使用され、スクリプトスーパーバイザーによる書き込みが加えられたオリジナル脚本を入手したと説明している。
さらに2025年のIrish Timesのインタビューでは、その脚本を確認した結果、問題のバター場面は脚本に記載されていなかったと報じられた。
撮影用脚本には当初の演出と、当日の撮影で追加された内容を区別できる記録が残されていたという。
この情報は、2016年の監督声明を考えるうえで重要だ。
監督は暴力描写が脚本にあったと説明した一方、パリュは実際の撮影用脚本を確認し、問題の場面自体が記載されていなかったと述べている。
ただし、ここでは「物語上の暴力的な展開」と「実際に撮影されたバター場面の具体的な演出」を分けて考える必要がある。
脚本に何らかの暴力的な展開があったことと、撮影当日に追加された演技の内容まで本人が事前に理解していたことは同じではない。
脚本を読んでいたという事実だけでは、変更された演出に対する本人の同意まで証明できない。
この点こそ、長年にわたる証言の食い違いを理解するための重要な視点である。
【撮影時の同意問題】なぜバター場面は映画史に残る議論になったのか
この問題を単なる過激な映画表現として片付けられない理由は、撮影現場における出演者の権利と、監督の演出権限が衝突しているからだ。
1. 演技のために本人の感情を意図的に引き出したベルトルッチが2013年に説明した演出意図は、シュナイダーに演技としての屈辱を表現させるのではなく、実際に屈辱を感じさせることだった。
これは映画制作における演技指導の問題を超えている。
俳優が役柄として経験する感情と、俳優本人が撮影現場で受ける心理的負担は別物だ。
監督がリアリティを求めることは創作上の選択だとしても、そのために本人への説明を省略してよい理由にはならない。
2. 年齢と立場の違いがあった撮影当時、シュナイダーは19歳。ブランドは48歳だった。
さらにベルトルッチは作品全体を統括する監督であり、演出内容を決定する立場だった。
若手俳優が、世界的スターや経験豊富な監督に対して、その場で演出変更を拒否することには心理的な難しさがあったと考えられる。
ここでは、単に「本人が撮影に参加した」という事実だけで同意を判断することはできない。
3. 事前説明と同意は別の問題映画制作における同意は、出演契約を結んだ時点ですべてが決まるものではない。
特に性的な描写や身体的な接触を伴う場面では、具体的な演出内容を事前に説明し、変更があれば改めて確認することが重要になる。
例えば、次のような事項は個別に確認する必要がある。
- どのような身体的接触があるのか。
- ヌードや性的な演技の範囲はどこまでか。
- 小道具を使う場合、どのような方法で使用するのか。
- 演出が変更された場合に拒否できるのか。
- 撮影を中断したいときに意思を伝えられるのか。
これは単に撮影を円滑に進めるための手続きではない。俳優の身体と尊厳を守るための問題である。
4. 現代の映画制作との違い2024年の映画『Being Maria』では、問題の場面を再現するにあたり、インティマシー・コーディネーターが関わったことが報じられている。
インティマシー・コーディネーターは、性的な描写や親密な身体表現を伴う撮影において、出演者の意思確認や安全な演出環境を支える専門職だ。
もちろん、この職種が存在すればすべての問題が解決するわけではない。
重要なのは、出演者が演出内容を理解し、納得したうえで撮影に参加できる環境を整えることだ。
パリュ監督も、シュナイダーの視点を中心に据えた映画作りを重視したと、カンヌ国際映画祭のインタビューで説明している。
【2026年の再評価】映画『Being Maria』が問い直したマリアの証言
2024年・フランス映画
監督:ジェシカ・パリュ
出演:アナマリア・ヴァルトロメイ、マット・ディロン
原題:Maria
『ラストタンゴ・イン・パリ』問題シーンを考えるうえで、2024年公開の映画『Being Maria』も重要な作品となった。
この映画は、マリア・シュナイダーの人生と『ラストタンゴ・イン・パリ』の撮影経験を、本人の視点から再構成した作品だ。
シュナイダー役はアナマリア・ヴァルトロメイ、ブランド役はマット・ディロンが演じた。
ジェシカ・パリュ監督は、カンヌ国際映画祭でのインタビューにおいて、シュナイダーが過去のインタビューで語った言葉を大切にしながら、彼女の人生を映画として描こうとしたと説明している。
注目すべきなのは、問題の場面を単に刺激的な映像として再現するのではなく、撮影現場にいた女性の視点から描き直した点だ。
2025年のIrish Timesの報道でも、この作品を通してシュナイダーの証言が再び取り上げられたことが紹介されている。
2026年現在、誤解しやすい3つのポイント| よくある認識 | 確認できる事実 |
|---|---|
| 撮影中に実際の性交があった | 実際の挿入はなく、性行為は演技として再現された |
| シュナイダーはすべての演出を事前に知っていた | 監督の説明と本人の証言が食い違っている |
| 2016年の釈明ですべて決着した | 2024年以降の脚本調査によって再び検証されている |
特に注意したいのは、2013年の監督発言を「実際に俳優同士がレイプ行為をしたと認めた」と解釈することだ。
監督が認めたのは、バターを使う演出をシュナイダーに事前に知らせなかったことと、彼女の実際の感情を引き出そうとしたことだ。
実際の性行為があったという意味ではない。
一方、実際の性交がなかったことを理由に、シュナイダーの訴えを軽視することも適切ではない。
問題の本質は、映像が本物だったかどうかだけではなく、撮影に参加する俳優がどのような情報を与えられ、どこまで自分の意思で演技内容を選べたのかにある。
【ラストタンゴ・イン・パリの問題シーン】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ラストタンゴ・イン・パリのバター場面で実際に性行為はあった?
実際の性交や挿入行為は行われていない。映画の場面は演技として撮影されたものだ。マリア・シュナイダー自身も2007年のインタビューで、ブランドの行為は実際の性行為ではなかったと説明している。
Q2:マリア・シュナイダーはバター場面について事前に説明を受けていた?
シュナイダーは2007年の証言で、具体的な演出を撮影直前に知らされ、怒りを感じたと説明している。一方、ベルトルッチは2016年の声明で、脚本に暴力描写が記されていたと主張した。バターを使う具体的な演出については、事前に知らせていなかったことを認めている。
Q3:ベルトルッチ監督は2016年に何を釈明した?
劇中の暴力描写は脚本に記載されており、シュナイダーは内容を知っていたと説明した。その一方、バターを使うアイデアは撮影当日にブランドと考えたもので、本人には知らせていなかったと釈明した。
Q4:問題のバター場面は最初から脚本にあった?
シュナイダーは脚本になかったと証言している。ベルトルッチは2016年に暴力描写自体は脚本にあったと説明した。さらに2024年には、ジェシカ・パリュ監督が撮影用脚本を調査し、問題の場面は記載されていなかったと報告している。
Q5:マリア・シュナイダーの証言を確認できる資料は?
2007年のDaily Mailインタビューが重要な資料となる。また、2013年のベルトルッチのインタビュー、2016年の監督声明、2024年のジェシカ・パリュ監督による脚本調査に関する証言を照合すると、問題の経緯を理解しやすい。
『ラストタンゴ・イン・パリ』の問題シーンをめぐる議論では、実際の性行為があったのかという疑問が先行しがちだ。
しかし、確認できる証言を整理すると、実際の性交や挿入が行われたわけではなく、映画上の演技として撮影されたことが分かる。
一方、撮影時の同意をめぐっては、重要な問題が残されている。
2007年、マリア・シュナイダーは事前説明が不十分だったと証言した。2013年、ベルトルッチは具体的な演出を知らせなかったことを認めた。そして2016年には、暴力描写は脚本にあったと釈明した。
さらに2024年のジェシカ・パリュ監督による撮影用脚本の調査が、脚本と実際の演出の違いを改めて浮き彫りにした。
この問題から読み取れる最大の教訓は、映画のリアリティを追求することと、出演者の同意を尊重することは決して対立するものではないという点だ。
映画作品の芸術的評価と、その制作過程における倫理的な問題は、分けて考えることができる。
『ラストタンゴ・イン・パリ』は映画史に残る作品であると同時に、俳優の尊厳、撮影現場の力関係、そして性的暴力表現に対する制作側の責任を考えるうえで、現在も重要な議論の対象となっている。